番外編『平和な五人』前編


 闘いの聖地として名高い“決闘の街”ファトルエルから運搬サソリで西に二日、そこに砂漠最西端の街『レンス』はある。
 広大な砂漠が広がり、あまり街が大きくなりにくいカンファータの中で、このレンスは有数の大きさを誇る街だ。交通の便もよく、この街から出ている魔導列車で文明の最先端をいく“魔導都市”エンペルファータ、国際的に非常に重要な、世界の真ん中に位置する“自由都市”フォートアリントン、そしてカンファータの首都である“王都”フリーバルまで行くことができる。
 この街をここまで大きくしたのは、交通の便ではない。この街の南に広がる大きな湖である。この街の名も、湖を意味する古語から取られているものなのだ。水が余り豊富ではないカンファータだが、この湖は世界に誇れるほど美しいこともあり、他国からの観光客も数多いリゾート地として発展した。

「おい、コーダが戻ってきたらしいぞ」

 レンスの東側の入り口にある見張り台に立っていた男が、もう一人立っていた相棒に声を掛けた。

「ん?」と、話し掛けられた男は、相棒の指差す方向に目をやる。「ああ、本当だ。もう終わったのか、今年の大会」
「にしては、帰りの客を乗せてる走りかたじゃねぇな」

 彼等の視線の先では、盛大な砂埃と共に猛スピードでこの街に迫る運搬サソリの姿があった。初めは遠かった運搬サソリだが、それはみるみる近くなってくる。

「相変わらず、ワケの分からん速さだなぁ。有り得ねぇ」
「下手したら魔導列車とタメ張れるぞ。いっぺん競争してくれねぇかな」

 このままの勢いで街に突っ込まれると、大変なことになるのだが、二人の口調は飽くまでも呑気である。これは毎度の事で、この街に住んでいる一部の者達にとっては半ば名物のようなものだからだ。

「お、そろそろくるな」

 どちらからともなく言い、近付いて来る運搬サソリを注視する。門まで二十数メートル、というところまで迫ってきていたそれは、大きく屈伸をしたかと思うと、勢いもそのままに軽やかに跳躍した。
 空を舞った運搬サソリは高さ十五メートルはあろう、見張り台の傍で放物線の頂点に達する。御者席に座った褐色の肌を持つ青年が楽しそうに手を降っているのが見えたので、彼等も馴染みのサソリ便御者に手を振り返した。
 が。

「「「ああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっっっ!」」」

 無事に街の大通りに着地し、街の中に走り去って行く運搬サソリの姿を途中から呆然と見送ったあと、片方が聞いた。

「……今、アレに客が乗ってなかったか?」
「残念ながら、目の錯覚ではないらしいな」

「……絶叫してなかったか?」
「魂の奥底からな」

「……そろそろ定時報告の時間だけどなんて言う?」
「『異常ありません。今日も平和です』と」

 その言葉通り、今の二人には元通りの静かな日常が戻っていた。


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「ああっ! 愛しい大地! 母なる大地!」
「もう、生きて踏まれへんかと思た〜っ!」
「………本当に死ぬかと思った……」

 運搬サソリの客室からよろよろと出てくるなり、地面にへたり込んでしまった三人の乗客の姿を見て、褐色の肌に白髪、砂漠の気候にあわせて長くて大きな裾の薄い服を着込んだコーダが腰に手をやってからからと笑う。

「はっはっは、ファトルエルの猛者ともあろう方々が情けないもんスね〜」
「どあほっ! あんなスピード出して二刻(六時間)もぶっ通しで走られたら誰かて参るわボケェッ!」と、叫んだのはカーエス、短い黒髪に眼鏡を掛け、一見真面目そうな風貌だが、その言葉遣いは恐ろしくひょうきんだ。

 ファトルエルを出たのが今日の朝、それから普通ならサソリ便で二日掛かる道程をたった二刻で到着させてしまった。これは通常の八倍のスピードに当たる。魔導車や魔導列車ならばこのスピードも不可能ではないが、それは道路の上だけの事である。丘あり穴あり、石がある砂漠では無理だろう。
 それが可能だった運搬サソリでも、その振動は如何ともし難かった。上下左右に激しく揺さぶられ、まともに座っている事も出来なかった。

「誰でもって、フィリーさんは大丈夫じゃないスか」と、コーダが指差した先には、きょとんとした顔で、真直ぐな黒髪を腰まで伸ばし、可憐な印象を持っている少女、フィラレスがきょとんとした様子で立っている。
 他の三人と同じ状況に置かれていたはずの彼女だが、全く動じた様子は見せていない。

「外見は一番か弱そうに見えるんだけどなぁ」と、ふらつきながらも立ち上がって言ったのは栗色の髪とエメラルドグリーンの眼の中肉中背の青年である。成人はしているが、その顔つきには幼さが残り、下手をするとまだ成人を迎えていないカーエスより若く見える。幸いカーエスの言動はかなり子供っぽいため、間違えられることはないが。

「しかし、最後の跳躍は何なのだ? 魂まで飛ぶかと思ったぞ。明らかに不必要なのに」と、無骨な口調でコーダを睨み付けたのは大きな三つ編みに縛った金髪を背中に垂らしている女性である。
 無骨な口調に見合って、その身体には動きに支障が出ない程度に要所要所のみが合金の板に覆われた軽甲冑を着込んでいる。

「なはは、あれはちょっとしたクセでやしてね」

 頭に手をやって、照れたように笑うコーダをよそに、リクは初めて来たレンスという街を改めて眺め渡した。

 地面はファトルエルと同じく基本的に砂だが、吹き付けて来る風は南にある湖のお陰か大分涼しく、木もあちらこちらに植えられているのが見られ、砂漠とは決定的に違う気候を感じさせている。
 また、ファトルエルは建材を運ぶことが難しい為に、雨が降れば崩れる粗末なレンガを使った家だったが、レンスの建物は石と、雨が降っても問題ない上等なレンガで家がほとんどだ。壁も漆喰で塗り固められ、それが白く美しい家を形作っている。その他にも、湖のお陰で豊富な水を利用したモニュメントもみられ、見た目にはかなり涼しい街である。
 人の多さも相当なものだった。今リク達が立っているのはメインに使われていると思われる大通りだが、その広い通りにまんべんなく人々が広がって歩き、その状態が絶えることはない。それだけなら、そこらの少し大きな都市に行っても同じなのだが、一番違うのは人々が発する活気だった。

「なあ、コーダ。今日はここで祭でもあるのか? やけに賑やかなんだが」

 人々の喧噪、それに混じって聞こえて来る様々な音楽、騒がしくも不快にさせる賑やかさはまさに祭だ。

「ありやスよ。と、言ってもレンスは観光客の為に年中祭がひらかれてるんでやスけどね。あっちの方に出店なんかもでてやスし、見に行きやスか?」
「いや、それは後でいいや。明日には出発してーし。先ずはいろんなモン買い込んどかなきゃな」

 ファトルエルからレンスまでは思いがけず二刻で着けたが、これからはそうもいかない。地図を見てみると、レンスから彼等の取りあえずの目的地であるエンペルファータまでは随分距離があり、その間に大きな街も少ない。
 食料なら、そこらの小さな街でも手にはいるかもしれないが、このような大きな街でしか売っていないものもあるだろう。
 特に、今リクたちはろくな野外調理器具を持っていない。今までずっと旅をして暮らしてきたリクは持っていないこともなかったが、いままでは師匠のファルガールとの二人旅であった為、それは精々二人分調理できればいいほうだ。少なくともこれからコーダとジェシカはリクに付いて来るようだし、少なくとも三人から五人分調理できるものが欲しいところだ。できれば、携帯しやすいタイプで。

「そうですね。それにテントなども欲しいところです。今のところ寝袋くらいしか持っていないことですし」と、リクの意見にジェシカも頷く。
「じゃ、買い物を済ませやしょう。ちょうどこの通りが商店街になってやスから。品揃えもなかなかのもんスよ」


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「ファトルエルの後だと、全てが安く見えるなぁ」

 旅用品を主に扱う店に広げられている商品の値札を見てリクが苦笑する。場所柄の運搬の困難さの為、えげつないとしか言えない物価だったファトルエルの後だと、どんな街の商品でも安く見える。よくよく考えてみると、観光地だけあって足下を見ているのか、これでもあまり安くはない値段だと分かるが。

「ファトルエル帰りの観光客は、大抵ここを経由してそれぞれの街に帰りやスからね。まあ、あの街の物価からでやしょう、財布の紐が緩んで結構な額のお金を落として行くそうスよん」と、コーダが苦笑しながら言う。そして、遠慮がちに尋ねた。「ところでアレ、構わなくていいんスか?」
「ああ、構わんぞ。俺達はアレとは他人だからな」

 リクがわざと“アレ”に眼を向けないように注意しつつ、声を堅くして即答する。
 しかし無情かな、コーダが指差した方向からは大きな声が、否が応にも耳に入って来る。

「いいや、俺の目ェは誤魔化されへんで! あと五枚はサバ読んでるやろ!? アンタの生活? 何もタダでくれ言うとるワケやない、“原価で売れ”って言うとるだけやって、あんたには損はないんやから。銀一枚銅六文っ! 見破れるからにはこれ以上は払われへんなぁ!」
「アンタ鬼かー!」

 カーエスは、彼等が選んだ商品を前に、店主に向かって値段交渉をしているのだ。否、それは交渉ではない。要求だ。初めに、カーエスが銀一枚銅六文という値段を出してから、彼は全く譲ることをしていない。銀五枚のところを五分の一近くに値切ろうと言うのだからまさに鬼の所行である。
 彼の言葉の要点を絞ると、こうなる。原価は買った値段なのだから、その値段で売っても損にはならない。全員に原価で商品を売れば生活が出来ないのは確かだが、一人くらいに売るのなら何ら問題は生まれないはずだ。他の客の手前、一人だけ特別扱いするわけにはいかないのも分かる。しかし自分は原価を見破ったのだから、特別扱いされる理由があるのではないか、と。

「まあ俺はただの旅人やし、二度と来えへん言う保証はないけど、少なくともそう何度も来るわけやないんやから、今回くらいマケたってもええやないか。なあ?」と、カーエスは諭すような調子で声量を下げた。
「さも当然そうにむちゃくちゃなこと言いやがる……」と、店主は呆れた顔で漏らす。が、一転して厳しい顔で告げる。「しかし、ここの主人は俺だ。少しは客を選ぶ権利がある。あんたみたいな客は歓迎出来ないね」

 お、とさり気なく聞き耳を立てていたリクが声を漏らした。
(形成逆転か?)
 客と店の関係は基本的に持ちつ持たれつである。店は客の必要なものを提供し、客はそれに見合った利潤を提供する。カーエスの提案は店に何ら利益をもたらすものではないので、客と店の関係は成り立たない。よって店主にはカーエスを客と認めず、販売を拒否する権利が生じるはずだ。

 ところがカーエスはそれにも動じず、店主に何かを耳打ちした。すると、店主の顔がたちどころに明るくなり、嬉しそうに言った。

「持ってけドロボー!」
『何ィッ!?』

 原価を通り越し、タダで商品を譲り渡した店主に、やり取りを見ていた野次馬達が揃って声をあげる。むろん、その中にはリク達も含まれる。
 満足そうな顔で、商品を抱えてきたカーエスに、リクとコーダが呆れた顔をして迎えた。

「一体、あの店主に何て言ったんだ?」
「儲け話を教えたったんや。まあ、コーダのやっとる事と同じで、お金を払う代わりに情報を与えたんやな。お金は減るけど、情報やったら減らへんのがええトコやな」と、カーエスはぐっと親指を突き立てながら得意そうに語った。そして、周りを見回して尋ねる。「あれ? フィリーとヤリ女は?」
「お前が長く掛かりそうだからって、先に向かいの服屋に行ったぞ。まあ、女の服選びは時間が掛かるって言うから、丁度いいだろ」


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 その頃、向かいの服屋では、ジェシカが試着室の前で腕を組んで待っていた。閉じられた試着室のドアに注がれているジェシカの眼差しは期待に満ちている。その横では愛想笑いを浮かべてこの店の店主である女性が控えていた。
 そして、試着室のドアが開かれて出てきたのは白いドレスに身を包んだフィラレスだ。豪奢だがあくまでも趣味のいい装飾が彼女を飾っている。
 その様子に、ジェシカは少し眉をしかめて言った。

「やはりフィリーには少し派手すぎるか……」
「いえ、よくお似合いだと思いますよ」と、店主が顎に手をやり、思案する様子を見せるジェシカに言う。
「素材はいいからな。何を着てもそれなりには似合うだろう」

 しかしフィラレスは大人しい、というか少し表情に乏しいところがある。それに対してこの服では、服と人の持つ雰囲気というものに違和感が生まれているようにジェシカには感じられたのだ。

「もう少しよく笑う娘なら、完璧に嵌まるところだが……。やはりこっちの方が合いそうだな」と、ジェシカは、自分の腕に掛けていたもう一つのドレスをフィラレスに差し出す。「今度はこっちの方を着てみてくれないか?」

 フィラレスはそれを受け取るとこくりと頷いて、試着室の中に戻った。

「綺麗な娘さんですね。妹さん……ではなさそうですし、お友達でいらっしゃいますか?」

 手持ち無沙汰になって暇そうにしているジェシカに、店主がそう尋ね掛けた。確かに、金髪のジェシカと黒髪のフィラレスでは姉妹には見えないだろう。
 その質問に、ジェシカは少し答えに詰まった。

「会ったばかりだからな、友達というには少し語弊が生まれるかもしれない。……そうだな、仲間……というか妹分のように私は感じているが。あの通り容姿だけではなく、素直で可愛い性格なのでな」と、ジェシカは試着室に目を向けて微笑みを浮かべてみせる。

 元々、この服屋に入ったのもフィラレスの為である。彼等が向かいにある旅用品店に入る時、ちらりとフィラレスがこの服屋に目をやったのに気が付いたのを切っ掛けに、フィラレスにドレスは持っているのか、と聞くと、フィラレスは首を振った。
 そこで、旅の身とはいえ、いつそんな服が入り用になるか分からないので一着は持っていた方がいい、と提案し二人してこの店に入ったのである。
 あまり服装には気を使わないらしく、あまり勝手が分からない様子のフィラレスにジェシカがあれこれ服を見繕っては試着させて吟味する。魔導騎士という職業柄、無骨な印象ばかりが表面化しているジェシカであるが、一般の女性のように服飾品に関心を持っており、フィラレスという素材が良い為か、何を着せても様になるので、選んでは着せ替える行為を、今は純粋に楽しんでいた。

 その時、買い物を終えたリク達三人が店の中に入ってきた。ここは女性服専門の店である為か、リクとカーエスは物珍し気に店内を見回している。ひとしきり店を見た後、カーエスがジェシカに何かを尋ねようと口を開きかけた。
 が、それはジェシカの言葉によって遮られる。

「フィリーなら試着室だ」

 質問をする前に答えをいわれ、カーエスがぱくぱくと自分の口を開閉する。
 そんなカーエスに、ジェシカは溜息をつきつつ、温度の低い視線を向けて言った。

「その様子だと当たりらしいな。素直なのは好感が持てるが、単純すぎるというのは考えものだ」
「誰が単純やて?」

 ジェシカの言葉にカーエスが反応した。

「やれやれそれが理解できるほどには馬鹿ではないと思っていたんだがな。どうやら買いかぶりだったようだ」
「そいつは済まなんだな。しかし、おんどれこそ店間違うたんちゃうんか? あんたに女性服の店はエラい不似合いやで」
「何だと貴様……っ!」

 二人の視線がぶつかる。先ほどまで、平和だった店内がにわかに殺伐としたものになり、店主が少しおののいた様子を見せる。
 そんな店主に構わず、二人は舌戦に入る。

「お、おいおい、止めとけって。一応公衆の面前なんだしよ」と、リクが止めに掛かったところで、試着室のドアが開かれた。

 瞬間、罵りあいが収まり、全員が視線を集めた先に立っていたのは、目と同じ藍色のドレスに身を包んだフィラレスである。一見シンプルに見えるが要所に上品な刺繍がちりばめられ、フィラレスはあたかも貴族の令嬢であるかのように見せている。

 その様子に、ジェシカはカーエスとの舌戦を忘れたように満足そうに頷く。

「うむ、フィリーは落ち着いた雰囲気を持っているから、暗い色合いの服が似合うと思ったのだが、これは予想以上だな」
「え、ええ、とっても素敵ですわ」と、少々戸惑った様子で店主も同意した。

「いかがですか? リク様」と、ジェシカがリクに意見を促すが、リクは困った様子を見せた。
「いや、俺に意見を求められても。あんまり服の事に付いては分からねーんだよ。でもまあ、確かによく似合ってると思う」

 リクの言葉に、フィラレスはわずかに顔を赤くしてはにかんだ。

「じゃあ、今着ているものと、そこの白い方のドレスも貰おうか」
「え? でも白い方はお気に召さなかったのでは?」と、意外そうな顔をする店主にジェシカは先ほどと同じ、優し気な微笑みを口元に浮かべて答えた。

「今はまだ明るすぎるかもしれないが、その内似合うようになる気がしてきてな」

 そうして、会計台に赴こうとするジェシカと店主を見たカーエスが言った。

「お、支払いか? よっしゃ、値段交渉なら俺に……」
「止めろ」「頼みやスから」

 嬉々とした様子のカーエスに、リクとコーダが止めに掛かった。

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